阪神大震災・・・・・

阪神大震災から22年。自分は朝方、ゆっくり横に揺れる地震で目が覚めました。
和歌山県南部でも震度3を記録したのです。
元妻の実家に前年生まれた息子を、迎えに行った翌日でした。迎えに行った
場所は尼崎市内で、地震発生時に前日まで息子が寝ていたベビーベッドの上に
大型テレビが落ちた事を聞いて背筋が寒くなる思いでした。
その後国土交通省からの救援依頼で、当社の重機部門が倒壊した阪神高速神戸線
の西宮エリアの撤去に向かいました。その時先頭に立って指揮を執ったのが、
今は亡き父でした。余震が止めどなく続く中、缶詰とインスタントラーメンで
空腹をしのぎ、交代で車で寝起きしながらの作業だったそうです。
東日本大震災時は、派遣隊に自分も立候補しましたが行く事は出来ませんでした。


災害は風化させる事なく、後世に語り継がなければと思います。
震災によってお亡くなりなった方々のご冥福を祈らずにはおれません。